第4章 『公平な取引』The Imagineering Story

「私たちは事業を進めるにつれて多くの才能を開花させ、私はそれらをどう活かすか考えながら夜も眠れませんでした。こうして私たちは多様化しました。自然な流れで事業を拡大したのです。」—ウォルト・ディズニー

「The Imagineering Story」第4章 [ 要約 ] 1964-65年のニューヨーク世界博覧会は、イマジニアリングにとって画期的な転機となりました。ウォルト・ディズニーはWEDエンタープライズのチームに4つのパビリオン(フォード、ゼネラル・エレクトリック、イリノイ州、ペプシコーラ/UNICEF)を開発させ、革新的なアトラクションを制作。「プログレス・オブ・カルーセル」、「エイブラハム・リンカーン大統領との素晴らしい瞬間」、「フォードのマジック・スカイウェイ」、そして「イッツ・ア・スモールワールド」は、より高度なオーディオ・アニマトロニクス技術と大量輸送システムの革新を達成しました。博覧会終了後、これらのアトラクションはディズニーランドに移設され、会社はMAPO(マシン・ショップ)という専門製造施設を設立。この経験はイマジニアの技術の幅を広げ、ディズニーランドの新しいアトラクション開発につながると同時に、東海岸でのディズニーの人気を実証する試金石となりました。

目次をチェック

第4章「公正な取引」A FAIR DEAL

I. ディズニーランドから遠く離れて

– ニューヨーク世界博覧会(1964-65年)の概要:

  – フラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催

  – 「理解による平和」をテーマに140のパビリオン

  – 2シーズンで5,000万人以上が来場

– WEDエンタープライズの世界舞台での挑戦:

  – 4つのパビリオンを設計、ディズニーランド外での初の大規模プロジェクト

  – 1960年のスコーバレー冬季オリンピックでの成功が足がかりに

  – ジョン・ヘンチが指揮したオリンピックでのイマジニアリングの活躍

– ウォルトの戦略的思考:

  – スポンサーに資金を出させてディズニーランドの将来のアトラクションを開発

  – 東海岸でのイマジニアリングの人気を試す機会

  – ロバート・モーゼス(博覧会会長)との関係構築

II. 生命の幻想

– ゼネラル・エレクトリック(GE)のプログレスランド:

  – 「プログレス・オブ・カルーセル」の開発

  – 4つの時代(1890年代、1920年代、1940年代、1960年代)を示す回転式劇場

  – ジョン・ヘンチとマーク・デイビスがデザインを指揮

  – シャーマン兄弟による「すばらしい明日がやってくる」の作曲

– オーディオ・アニマトロニクスの技術的飛躍:

  – ワシェル・ロジャースの装着型制御ハーネス(初の動作キャプチャー技術)

  – 磁気テープに記録された周波数で動きを制御

  – 実践的な試行錯誤と過酷な作業スケジュール

– 「エイブラハム・リンカーン大統領との素晴らしい瞬間」:

  – ウォルトの長年の夢「大統領の殿堂」から派生

  – ブレイン・ギブソンによる彫刻、ボブ・ガーによる機構の改良

  – マーク・デイビスが「機械的な人間ではなく、幻想を作る」と説明

  – イリノイ州パビリオンの目玉に

III. 最大と最小

– フォードのマジック・スカイウェイ:

  – 恐竜の世界を巡る160台のフォード車によるライド

  – マーク・デイビスとクロード・コーツがデザイン

  – ボブ・ガーが開発した新しい推進システム

  – 毎時4,000人の大量輸送能力

– 「イッツ・ア・スモールワールド」:

  – ペプシコーラがスポンサー、UNICEFのための慈善パビリオン

  – メアリー・ブレアがアートディレクション、ローリー・クランプが玩具をデザイン

  – アリス・デイビスが衣装をデザイン

  – シャーマン兄弟による永遠のテーマソング「イッツ・ア・スモールワールド」の作曲

  – 9ヶ月という記録的な短期間で設計・製作

– 革新的な水上ライドシステム:

  – 壁に埋め込まれた水噴射によるボートの推進

  – 毎時3,000人以上の輸送能力を達成

IV. 帰郷

– 博覧会の成功:

  – 1964年4月22日に開幕、各パビリオンが大好評

  – 「イッツ・ア・スモールワールド」は1,000万枚のチケットを販売

  – 「エイブラハム・リンカーン大統領」の人間らしさに観客が驚愕

– ディズニーランドへの移設:

  – 「エイブラハム・リンカーン大統領」が最初に移設され、1965年7月18日にオープン

  – 「イッツ・ア・スモールワールド」は拡張され、メアリー・ブレアとローリー・クランプによる新しいファサードを追加

  – 「プログレス・オブ・カルーセル」は1967年7月2日にオープン

  – 「プライミーバル・ワールド」(恐竜ジオラマ)が鉄道沿いに設置

– MAPOの設立:

  – 映画『メリー・ポピンズ』の収益で新しいマシン・ショップを建設

  – ロジャー・ブロギーの主導でスタジオから独立した製造施設に

  – 組合の管轄争いを避けるための戦略的決断

– 後継プロジェクト:

  – ディズニーランドの10周年記念(1965年)

  – 海賊とお化けをテーマにした次の大型アトラクションの開発着手

  – ウォルトの新しい秘密プロジェクトの立ち上げ

この章から読み取れる重要なポイント:

1. 戦略的なビジネスモデル: ウォルト・ディズニーは、企業スポンサーの資金を活用して新技術を開発し、後にディズニーランドに移設するという巧妙な戦略を展開しました。これは「他人のお金で技術を開発し、2年間ニューヨークで運営し、ディズニーランドに新しいアトラクションを導入する」という効率的なモデルでした。

2. 技術革新の加速: 世界博覧会は、オーディオ・アニマトロニクスの飛躍的進化を促しました。特に「エイブラハム・リンカーン大統領」は、それまでにない精巧な人間型ロボットを実現し、観客に「本物の人間が演技している」と思わせるほどのリアリズムを達成しました。

3. 大量輸送システムの革新: 博覧会での経験は、毎時3,000〜4,000人という前例のない数の来場者を効率的に動かす方法をイマジニアに教えました。これらの革新(水噴射推進システム、モーター駆動トラック、回転劇場など)は、後のディズニーパークの基盤技術となりました。

4. コラボレーションの重要性: メアリー・ブレア、マーク・デイビス、アリス・デイビス、ローリー・クランプ、シャーマン兄弟など、多様な才能を持つアーティストたちの共同作業が、独自のディズニー体験を生み出しました。芸術性と技術が融合するイマジニアリングの協働モデルが確立されました。

5. 組織の進化: MAPOの設立は、イマジニアリングの製造能力を大幅に強化し、アトラクション開発における自律性を高めました。この垂直統合により、より複雑なプロジェクトをより効率的に実施できるようになりました。​​​​​​​​​​​​​​​​

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次をチェック