「The Imagineering Story」第12章 [ 要約 ] :1984年秋、マイケル・アイズナーとフランク・ウェルズが新たな指導者としてディズニーに就任し、縮小を余儀なくされていたイマジニアリング部門に新たな息吹をもたらしました。彼らはイマジニアリングを「会社の中の王冠の宝石」と評価し、創造性を中心に据えたリーダーシップを約束しました。この新しい方向性の下、スター・ツアーズやキャプテンEO、スプラッシュ・マウンテンといった革新的なアトラクションが開発され、ディズニーランドは若い世代を引きつける場所として生まれ変わりました。これらのプロジェクトは、ディズニー外のIPの活用や最新技術の導入など、イマジニアリングの新たな可能性を切り開きました。
第12章「青い空のみ」NOTHING BUT BLUE SKIES
I. ライフセーバー(救世主)
– 1984年秋、アイズナーとウェルズがWED(イマジニアリング部門)を初めて訪問
– イマジニアたちは縮小や閉鎖を恐れていたが、新指導者たちは「イマジニアリングが会社の王冠の宝石である」と認識
– アイズナーは「この会社は創造性の観点からリードされる」と約束
– 「ウォルトがやったように、あらゆる種類の新しく革新的なエンターテイメントを試みる」方針を打ち出す
– 会社が「包囲されている」状態から解放されるという感覚をイマジニアたちに与えた
II. 「私たちはイマジニアリングと呼んでいる」
– アイズナーはロイ・E・ディズニー(ウォルトの甥)の勧めで会社に加わった
– ディズニーは「ウォルトのように少し狂気じみた」指導者を求めていた
– アイズナーは若者をパークに呼び込むために、リスクを恐れないアプローチを採用
– 1986年1月、WEDは「ウォルト・ディズニー・イマジニアリング」と改名
– ウォルト・ディズニーの言葉「私たちはイマジニアリングと呼んでいる—創造的想像力と技術的ノウハウの融合」という理念を体現
III. 音楽におけるミッション
– アイズナーの2回目のイマジニアリング訪問では、13歳の息子ブレックを同行
– トニー・バクスターが「スター・ツアーズ」と「スプラッシュ・マウンテン」のアイデアを提案
– アイズナーはすぐに両方を承認し、さらに短期間で実現可能なプロジェクトを要求
– その結果、「キャプテンEO」が発案された
– マイケル・ジャクソン主演の17分間の3D映画
– フランシス・フォード・コッポラ監督、ジョージ・ルーカス製作という豪華スタッフ
– 1986年9月18日にディズニーランドでオープン
– コストは推定1,000万ドル以上と報告される
– 若者を引きつけるもう一つの試みとして「ビデオポリス」が1984年にオープン
– 70台のTVモニターに囲まれた5,000平方フィートのダンスフロア
– 若者向けの夜間の集会場所として人気を博す(1989年末に閉鎖)
IV. 新たな希望
– トニー・バクスターのイマジニアとしての経歴:
– ディズニーランド近くで育ち、10歳の頃から自転車で通える場所に住む
– 17歳でリンカーン大統領のアトラクションに感銘を受けてディズニーで働くことを決意
– アイスクリーム販売員からスタート、多くのアトラクションのオペレーターを経験
– 22歳でマーブルマシン(大理石装置)を作り、それがWEDへの採用につながる
– スター・ツアーズの開発:
– ディズニー以外のIPを初めてアトラクションに採用
– ルーカスはディズニーとの協力に熱心だった
– レディフュージョン・シミュレーション社の飛行訓練用シミュレーターが技術的基盤に
– ディズニー・マシン・ショップが70mm映写システムを開発
– 1987年1月9日オープン、3日間連続60時間営業するほどの人気に
– イマジニアリングの多様な才能の集結:
– 機械装置の専門知識
– 電子工学とプログラミングスキル
– 映画製作技術の統合
V. 渦巻く水
– スプラッシュ・マウンテンの開発:
– 当初は映画『スプラッシュ』とのタイアップが検討されたが、ジョー・ロードが説得して純粋なディズニーのテーマに
– 『南部の唄』のアニメーションシーンをテーマに採用
– 使用頻度の低かったベア・カントリーエリアの活性化が目的
– 「アメリカ・シングス」アトラクションからオーディオアニマトロニクスの人形を再利用
– 予算は当初の2,500万ドルから推定7,000万ドルに膨らむ
– 1989年7月18日に正式オープン、大きな成功を収める
– バクスターによる成功アトラクションの3要素:
1. ストーリーテリング:「ディズニーなしでは行けない場所」への旅
2. スリル:「死を除いた恐怖は楽しみとなる」
3. 感情的魅力:ディズニー特有の感情的つながり
この章から読み取れる重要なポイント:
1. リーダーシップの転換: アイズナーとウェルズは「創造性第一」の理念を掲げ、イマジニアリングに対する新たな信頼と自由を与えた。彼らの補完的なスキルセットはウォルトとロイの関係性を思わせ、組織に新たな活力をもたらした。
2. 若者市場への焦点: 新経営陣はティーンエイジャーと若い大人をパークに呼び込むことの重要性を認識し、現代のポップカルチャーを取り入れることで、ディズニーがすべての世代にとって魅力的であり続けることを目指した。
3. 技術革新の受け入れ: フライトシミュレーター技術の採用、3D/4D映画体験の開発など、最新技術を導入することで、ディズニーは単なる「子供向け」というイメージを超えた。
4. 外部IPとのコラボレーション: 『スター・ウォーズ』やマイケル・ジャクソンとのパートナーシップは、ディズニーが自社IP以外にも視野を広げる転換点となった。これは後の『インディ・ジョーンズ』や『マーベル』など、多くの外部IPの取り込みへの道を開いた。
5. イマジニアリングの基本原則の維持: 新しい方向性や技術を取り入れながらも、ストーリーテリング、スリル、感情的つながりというディズニーの基本原則を維持することで、革新と伝統のバランスを達成した。