「The Imagineering Story」第16章 [ 要約 ] :第16章は、ディズニー社が1990年代にバージニア州で計画したがついに実現しなかった「ディズニーズ・アメリカ」というテーマパークについて詳述しています。この章では、計画されたパークの詳細な構想、地元や歴史家からの強い反対運動、そして最終的に計画が中止された経緯を描いています。また、ディズニーの過去の未実現プロジェクト(セントルイスのリバーフロント・スクエアやミネラル・キングのスキーリゾート)についても触れ、イマジニアリングの創造的なビジョンが様々な外部要因によって頓挫した歴史を振り返っています。
第16章「ディズニーズ・アメリカの戦い」
THE BATTLE OF DISNEY’S AMERICA
I. ディズニーズ・アメリカ
– 計画されたパークは9つの「テリトリー」(地域)で構成され、アメリカの歴史を時代順に体験できる構想だった
– クロスロード・USA(1840年代の街並み)、プレジデンツ・スクエア(植民地時代)、ネイティブ・アメリカ(1600年代〜1800年代初頭の先住民の生活)などのエリアが含まれていた
– 南北戦争の要塞、奴隷制と地下鉄道の展示、大恐慌時代の農場、第二次世界大戦の飛行場など、アメリカの暗い歴史も含め、多様な歴史的要素を取り入れる計画だった
– マナサス南北戦争の戦場から約4マイルの場所に建設予定で、これが後の反対運動の一因となった
II. 過去のプロジェクト
– セントルイスのリバーフロント・スクエア(1963-1965年):ウォルト・ディズニー自身が監督した屋内型テーマパーク計画だったが、資金調達の問題で中止
– ミネラル・キング・スキーリゾート:1960年代後半から1970年代にかけて計画されたが、シエラクラブなどの環境保護団体からの反対運動と訴訟で中止
– インデペンデンス・レイク・リゾート:ミネラル・キングの代替として1970年代半ばに計画されたが、これも州知事の支持を得られず頓挫
III. 誰がアメリカの物語を語るのか?
– マイケル・アイズナーは、子供たちにアメリカの歴史を教育的で楽しい方法で教えるというビジョンを持っていた
– 1993年11月2日に公式発表され、当初は民主党・共和党両方の州知事の支持を得ていた
– しかし発表後すぐに、歴史保存団体や著名な歴史家たちから激しい反対に遭遇
– 反対派は「歴史の商業化」「聖なる戦場の近くでのテーマパーク建設は不適切」などと主張
– 反対運動は主に3つの勢力から:ワシントンのエリート層、近隣の裕福な地主たち、歴史家たちのコミュニティ
– 論争は全国メディアで大きく取り上げられ、上院の公聴会まで開かれた
– 1994年9月28日、ディズニーは計画撤退を発表。アイズナーは天候による年間閉園期間の延長と増大するコストを理由に挙げたが、激しい反対運動も大きな要因だった
この章から読み取れる重要なポイント:
1. テーマパーク開発には、土地の選定が極めて重要であり、歴史的に重要な場所の近くでの開発は大きな反対を招く可能性がある
2. イマジニアリングの創造的なビジョンは、しばしば外部要因(環境保護、歴史保存、地域の反対など)によって実現を阻まれることがある
3. 「歴史」をエンターテイメントとして提示することの是非をめぐる論争は、単に事実の正確さだけでなく、歴史をどのように解釈し表現するかという文化的な問題も含んでいる
4. ディズニーのような大企業でさえ、地域社会やメディア、学者などからの強い反対を受けると、計画を変更または放棄せざるを得ないことがある
5. このプロジェクトの失敗は、「誰がアメリカの歴史を語る権利を持つのか」という根本的な問いを投げかけた
6. イマジニアのボブ・ワイスが指摘したように、歴史博物館も現在ではよりインタラクティブでイマーシブな体験を提供するように変化しており、ディズニーズ・アメリカのビジョンは時代を先取りしていた可能性がある