第19章 「未知の海域」The Imagineering Story

「新しいプロジェクトを検討する際、私たちはそれを徹底的に研究します。表面的なアイデアだけでなく、そのすべてについてです。そして、その新しいプロジェクトに取り組む際には、それを完全に信じます。私たちは、それを正しく遂行できるという自信を持っています。そして、可能な限り最高の仕事をするために、懸命に努力します。」
—ウォルト・ディズニー

「The Imagineering Story」第19章 [ 要約 ] 本章では、ディズニー・クルーズラインの誕生と発展について描かれています。マイケル・アイズナーの指示の下、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングのウィング・T・チャオが中心となって、ディズニーらしさを表現した独自のクルーズ船のデザインと建造に取り組みました。ノルウェー人の船舶デザイナー、ニャル・アイデの協力を得て、クラシックでありながらモダンな外観を持ち、家族向けの施設を充実させた革新的なクルーズ船「ディズニー・マジック」と「ディズニー・ワンダー」が誕生しました。

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第19章「未知の海域」UNCHARTED WATERS

I. クルーズ事業への参入決断

   – 最初はプレミア社の「ビッグ・レッド・ボート」とパートナーシップを組み、ディズニーキャラクターを提供

   – 乗客からの苦情(食事の質や部屋の狭さなど)を受け、アイズナー自身が視察

   – 他のクルーズライン会社とのパートナーシップも検討したが、カジノの問題や子供向けエリアの不足から断念

   – 1994年5月3日、ディズニー独自のクルーズラインの立ち上げを発表

II. 船のデザイン開発

   – 初期のデザイン案は奇抜で派手なものばかりで、「ラスベガスのカジノ」のようだとアイズナーに却下される

   – チャオは世界的な船舶デザイナー、ニャル・アイデを粘り強く説得して協力を取り付ける

   – アイデのスケッチは「クラシックでありながらモダン」というアイズナーの要望を完璧に具現化

   – 二本の煙突、舷窓、黒・白・赤・金の配色(ミッキーマウスのカラーでもある)など、ユニークな特徴を持つデザイン

III. ウィング・T・チャオの役割と経歴

   – 香港出身のチャオは大学でディズニーランドを訪れ、将来働きたいと願う

   – 1972年にディズニーに入社し、ウォルト・ディズニー・ワールドのホテル開発に携わる

   – グランド・フロリディアンホテルの開発をきっかけに、ディズニーは外部パートナーに頼らず独自のホテル運営を決断

   – チャオは世界中のディズニーホテル約40,000室の設計を監督

IV. 船内設計の革新性

   – 家族向けクルーズの先駆けとして、他社のカジノスペースを家族向け施設に転換

   – 子供の年齢層に合わせた専用エリアを設計:「オーシャニア・クラブ」(海賊テーマ)と「オーシャニア・ラボ」(科学テーマ)

   – 900人収容の本格的な劇場を5層分のスペースを使って建設(当時の船では前例なし)

   – 3つの異なるレストランを設け、乗客が滞在中にローテーションする方式を導入

V. 「アニメーター・パレット」の革新的なダイニング体験

   – ディズニーのアニメーション遺産を称えるユニークなレストラン

   – 最初は白黒の内装と壁の絵で始まり、食事が進むにつれて徐々に色が現れる演出

   – ディズニーアニメーションの発展の歴史を体験できる没入型ダイニング体験を提供

この章から読み取れる重要なポイント:

1. ディズニーは既存の業界慣行に従うのではなく、自社の価値観と強みを活かした独自のアプローチでクルーズ業界に参入した

2. ウォルト・ディズニーの「新しいプロジェクトを検討するとき、私たちは表面的なアイデアだけでなく、あらゆる側面を徹底的に研究する」という哲学が、クルーズライン事業にも適用された

3. イマジニアリングの専門知識と「キュービックインチ単位で考える」細部へのこだわりが、限られた船内空間を最大限に活用する革新的な設計につながった

4. 船のデザインには、ミッキーマウスのカラーを取り入れるなど、「ディズニーらしさ」を巧妙かつ控えめに表現する工夫が施された

5. 家族向け施設の充実、年齢別の子供向けプログラム、本格的な劇場など、ディズニークルーズラインの革新的なアプローチは、後に業界全体に影響を与えた​​​​​​​​​​​​​​​​

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