第23章 『惰性との闘い』The Imagineering Story

「もし、自分がこうあるべきだと感じた通りに事が進まなかったら、私は吐き気がする。がっかりする。それは、私たちがそれをしなかったからだ。そして私はこう言う。『一体なぜこれはうまくいかなかったんだ? 何が間違っていたんだ? そもそも、私たちはどこから間違えたんだ?』」—ウォルト・ディズニー

「The Imagineering Story」第23章 [ 要約 ] 本章では、2002年に開園したウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク(パリ)の失敗と、2000年代初頭のイマジニアリングが直面した困難について描かれています。コスト削減と予算制約の中で生まれたパリの第2のパークは、没入感や細部へのこだわりを欠き、「ディズニー史上最も悲惨なテーマパーク」と評されました。また、経済不況とテロ後の観光産業の低迷を背景に、イマジニアリングは大幅な人員削減を余儀なくされ、革新的プロジェクトも縮小を迫られました。その一例として、完全自律型の恐竜ロボット「ディノ」が「ラッキー・ザ・ダイナソー」という小規模な成功に姿を変えていく過程が描かれています。

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第23章「惰性との闘い」
STRUGGLE AGAINST INERTIA

I. ウォルト・ディズニー・スタジオ・パークの惨状

   – 2002年3月16日にパリの2番目のパークとして開園

   – イマジニアのブルース・ヴォーンの初訪問時の衝撃:「バックステージ」と思った領域が実際は「オンステージ」だった

   – 62エーカーの敷地に僅かな数のアトラクションしかなく、「グレーの倉庫の集まり」のような外観

   – カリフォルニア・アドベンチャーと比較しても見劣りする施設と雰囲気

II. パリ第2パークの背景と開発経緯

   – 計画は1992年に発表され当初は「ディズニーMGMスタジオ・ヨーロッパ」と呼ばれる予定だった

   – ユーロディズニーランドの経営危機により計画は一時中断

   – 契約上の義務から開発を再開、名前を「ウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク」に変更

   – 急いで安く作られたパークは「テーマ設定よりも実用性」を優先

III. ディテールの欠如とゲスト体験の軽視

   – ジョン・ヘンチがウォルトから学んだ教訓:「ゲストは細部の違いを感じ取る」を無視

   – トム・モリスの指摘:「ロックワークやストーンワークなどにお金をかけないという方針だった」

   – ダニエル・ジュエ:「ビジネス的決断としてのパーク開発で、できるだけ速く安く作られた」

   – アイズナーはフランク・ウェルズの死後、「より引き締めたアプローチ」をとるようになった

IV. パークの経営的失敗

   – 開園後の業績は期待を大きく下回り、リゾート全体は2003年に6,600万ドルの損失

   – 2004年中頃には再び破産回避のための再融資交渉を余儀なくされる

   – 2008年の来場者数は250万人で、ディズニーランド・パリの約5分の1

   – 初期の改善はピクサー関連(「クラッシュのコースター」や「カーズ・キャトル・ルー・ラリー」)と「トワイライトゾーン・タワー・オブ・テラー」の追加

V. イマジニアリングの試練の時代

   – 18ヶ月で3つのテーマパークをオープンさせた後、プロジェクト数は急減

   – 2002年末までに人員を3,000人から約1,500人に半減

   – 元イマジニアリング幹部のラリー・ガーツ:「新しいものを生み出す資金なしにディズニーブランドの大きな部分を失う」

   – 「コストを考えずに」から「スプレッドシートから始める」アプローチへの転換

VI. 巨大恐竜ロボット「ディノ」から「ラッキー」への変貌

   – ダニー・ヒリスのR&D部門での野心的プロジェクト:完全自律型の12フィート11インチの恐竜ロボット

   – 11,384ポンドの重量、55個のバッテリー、多数のモーターやセンサーを搭載

   – プロジェクトは「一度に遠くへ行きすぎようとした」ため完成せず

   – より小規模な「ラッキー・ザ・ダイナソー」として進化:8フィートの二足歩行のセグノサウルス

   – 2003年のデビュー後、カリフォルニア・アドベンチャーでテスト、2005年にアニマルキングダムで本格登場

この章から読み取れる重要なポイント:

1. ディズニーの魔法の本質は没入感と細部へのこだわりにあり、これらを犠牲にした「安い」パークは必然的に失敗する

2. フランク・ウェルズの死後、アイズナーはより保守的な財務アプローチをとるようになり、クリエイティブな側面が軽視される傾向があった

3. 2000年代初頭の経済的困難(景気後退、9.11テロ)がディズニーの冒険的投資を抑制し、イマジニアリングの創造力発揮を制限した

4. イマジニアリングの「失敗の文化」—「失敗を恐れず、多くの失敗から学び、より良いものを作る」—は、ディノからラッキーへの進化にも表れている

5. 予算や時間の制約があっても、最終的にはゲスト体験を最優先すべきだというウォルト・ディズニーの哲学が再確認される

6. 作り込みの足りないパークの問題点は、徐々に魅力的なアトラクション(特にピクサー関連)の追加によって少しずつ改善されていく​​​​​​​​​​​​​​​​

ディズニーの哲学の再認識の章

この章はディズニーの根本的な哲学を再認識させてくれる重要な内容でした。特にウォルト・ディズニーが大切にしていた「細部へのこだわり」と「ゲスト体験の質」の重要性が、皮肉にもそれらを欠いたパークの失敗を通して浮き彫りになっています。

予算制約や速さを優先したパリのスタジオパークが直面した問題は、ウォルトの言葉「ゲストは細部の違いを感じ取る」の真実性を証明しています。また、「失敗の文化」を通じて学び、進化していくイマジニアリングの姿勢も、ディズニーの創造的精神の本質を表しています。

ディズニーは再びその原点に立ち返ることになる​​​​​​​​​​​

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