第18章『相乗効果』The Imagineering Story

「暗闇は、時と形を変えながら、〝イマジニアリング〟に波紋のように広がる。かつて、私たちは自分が何者なのかを忘れるよう促された時代があった……。テーマパークのような日々は終わったのだ。」 – トム・モリス

「The Imagineering Story」第18章 [ 要約 ] フランク・ウェルズの死後、ディズニー社は大きな変革期を迎え、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングは様々なプロジェクトへと展開していきました。ABCテレビ局の買収、水族公園の拡大、ディズニー・デベロップメント・カンパニーとの合併、そしてディズニークエストやESPNゾーンなどの地域エンターテイメント施設の開発が進みました。しかし、テーマパーク以外の事業への展開は必ずしも成功せず、イマジニアが本来持っていた使命から離れていく時期でもありました。

目次をチェック

第18章「相乗効果」SYNERGY

I. フランク・ウェルズ亡き後のディズニー社

   – 1995年、ディズニーはABCテレビネットワークを所有するキャピタル・シティーズ/ABCを190億ドルで買収

   – エディ・ソットーらイマジニアはニューヨークのタイムズスクエアでグッドモーニングアメリカの新スタジオデザインに携わる

   – アイズナーは心臓バイパス手術を受け、カッツェンバーグの退社、オヴィッツの短期在任など、経営陣の混乱が続く

II. 水族公園の拡大

   – タイフーンラグーンの成功を受け、ブリザードビーチという第二の水族公園を1995年4月にオープン

   – ランディ・ブライトとエリック・ジェイコブソンが創造的なテーマ設定を行う

III. ディズニー・デベロップメント・カンパニーとの合併

   – 1996年5月、イマジニアリングはディズニー・デベロップメント・カンパニーと合併

   – ピーター・ラメルが新たに合併した組織の会長に任命される

   – 1997年6月、グレンデールの100エーカー以上の敷地を購入

IV. 予算削減とテーマ設定の変化

   – トム・モリスによれば、ウェルズの死後、アイズナーはより厳しい予算管理を行うようになる

   – 「テーマ設定」は悪い言葉になり、代わりに「知的財産(IP)」と「インタラクティビティ」が重視される

   – ディズニーランド・パリの高コストと当初の低収益が批判の対象となる

V. 地域エンターテイメント事業への展開

   – ディズニー・ビレッジ・マーケットプレイスがダウンタウン・ディズニーとして拡大

   – 1998年6月、バーチャルリアリティとビデオアーケードを組み合わせたディズニークエストがオープン

   – ESPNゾーンというスポーツテーマのレストラン&エンターテイメントセンターチェーンも開発

   – ディズニーフェアという移動型ショーも試みられたが、低い集客率と高いコストで短命に終わる

VI. 地域エンターテイメント事業の失敗

   – シカゴのディズニークエストは1999年にオープンするも2年余りで閉鎖

   – 2010年までにディズニー地域エンターテイメント部門は解散され、すべての施設は2018年までに閉鎖

この章から読み取れる重要なポイント:

1. フランク・ウェルズの死後、ディズニー社は方向性を見失い、イマジニアリングは本来の使命から離れていった

2. 「テーマ設定」から「IPとインタラクティビティ」へと優先事項が変化し、予算削減が進んだ

3. テーマパーク以外の事業(特に地域エンターテイメント施設)への展開は必ずしも成功せず、多くが短命に終わった

4. イマジニアが本来持っていた創造性とストーリーテリングの才能が十分に活かされない時期であった

5. ディズニーランド・パリの初期の問題がテーマパーク事業全体に影響を及ぼした​​​​​​​​​​​​​​​​

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次をチェック