第1章 『不可能なアイデア』The Imagineering Story

「私は気に入らないものを見ると『なぜこうなっているのか、どうすれば改善できるのか』と考え始めます。」
—ウォルト・ディズニー

「The Imagineering Story」第1章 [ 要約 ] 本章は、ディズニーランドという革新的なテーマパークの構想が生まれる過程を描いています。ウォルト・ディズニーが従来の遊園地に不満を持ち、家族で一緒に楽しめる新しい娯楽施設を夢見たところから始まり、その夢を実現するためにWEDエンタープライズ(後のディズニー・イマジニアリング)を設立し、独自の創造的人材を集めていった経緯が語られています。当初はバーバンクの小さな土地に計画されていた「ディズニーランド」が、様々な経験と影響を経て大きく進化していく過程が描かれています。

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 第1章 『不可能なアイデア』AN IMPOSSIBLE IDEA

I. ウォルト・ディズニーからの電話

– ハーバート・ライマンが1953年、自宅での休日に突然ウォルトから電話を受け、ディズニーランドの全体図を48時間で描くよう依頼される

– ウォルトの兄ロイが投資家へのプレゼンのために必要としていた

– ライマンは不可能だと断ろうとしたが、ウォルト自身が付き添うという条件で引き受け、徹夜で43×70インチの鉛筆画を完成させた

この出来事は、ウォルトが人々の才能を見抜き、彼らの能力を引き出す「キャスティング・ディレクター」としての才能を示している

– イマジニアリングの本質は、ウォルトのビジョンを理解し、それを技術的知識と創造力で形にすることだった

II. 遊園地、博覧会、そして衰退

– 1951年、ウォルトはコペンハーゲンのチボリ公園を訪問し、その清潔さや美しい景観、家族向けの雰囲気に感銘を受ける

– アメリカの遊園地は万国博覧会や州の見本市を小規模に模倣したものだったが、大恐慌と第二次世界大戦で衰退

– コニーアイランドなど当時の遊園地は老朽化し、従業員の態度も悪く、ウォルトは反面教師とした

– グリーンフィールド・ビレッジ(歴史的建物を集めた「生きた歴史」パーク)やノッツベリーファームからインスピレーションを得る

– ウォルトは1940年代後半から「ミッキーマウス・パーク」の構想を持ち始めた

III. ディズニーランディア

– 1948年8月、ウォルトはバーバンクの8エーカーの土地に「メインビレッジ」「インディアンビレッジ」「西部村」などを含むパークを計画

– ハーパー・ゴフ(ロンドンの模型店でウォルトと偶然出会った映画美術監督)が空撮図を描く

– 当初「ディズニーランディア」として構想されていた移動式ミニチュア展示が進化

– ケン・アンダーソンがウェスタン・タウンの24のシーンを描き、ウォルトが細部を作り込む計画だった

– 「プロジェクト・リトルマン」では、ニューオーリンズで購入した機械仕掛けの鳥からヒントを得て、動く小さな人形を開発

– バーバンク市議会がノイズや「カーニバル的雰囲気」を理由に計画を却下

– リチャード「ディック」アーバインが最初の専属アーティストとして採用され、建築家ウェルトン・ベケットのアドバイスで、映画セットデザイナーたちがパーク設計を担当することに

– 1952年12月16日、ウォルトはディズニーランド専用の会社WEDエンタープライズを設立(WED = ウォルト・イライアス・ディズニーの頭文字)

IV. すべて乗車

– 1949年、ウォルトは自宅の庭に「キャロルウッド・パシフィック鉄道」を建設

– 7¼インチゲージの蒸気機関車「リリーベル号」はスタジオの工作室で製作され、大人が乗れる大きさだった

自宅の鉄道は、景観設計、請負業者との協力、乗客の安全など、後のディズニーランドに活かされる多くの教訓をもたらした

– ジョン・ヘンチはウォルトに突然「ディズニーランドで働くことになった、そして君はそれを気に入るだろう」と言われた

– ヘンチは「ディズニーのルネサンス芸術家」と呼ばれ、芸術的才能と広範な知識を持ち、イマジニアリングの哲学を言語化した

– イマジニアリングのストーリーテリング・アプローチは映画制作の手法に大きく依存し、これが従来の遊園地との差別化となった

この章から読み取れる重要なポイント:

1. ウォルト・ディズニーの革新的なビジョンは、当時衰退していた遊園地産業に新たな命を吹き込むものだった

2. イマジニアリングの誕生は、ウォルトの個人的な情熱(ミニチュアと鉄道)と映画制作の技術が融合した結果である

3. ウォルトの特別な才能は、人々の隠れた能力を見抜き、彼らにインスピレーションを与え、不可能に思えることを実現させることだった

4. ディズニーランドの開発は段階的に進化し、「ディズニーランディア」の移動式ミニチュア展示から始まり、自宅の鉄道で実験され、最終的に本格的なテーマパークへと発展した

5. 従来の建築家ではなく、映画のセットデザイナーや背景画家を起用したことが、ストーリーテリングを重視する革新的なアプローチの基盤となった

6. 競合や他の施設(チボリ公園、グリーンフィールド・ビレッジ、コニーアイランド)からの学びを取り入れながらも、全く新しい「テーマパーク」という概念を確立した

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