「The Imagineering Story」第11章 [ 要約 ] :1980年代初頭、ディズニーのイマジニアリング部門「WED」は浮き沈みの激しい時期を経験しました。1982-83年のディズニーランド「ファンタジーランド」の大規模リニューアルは創造的な成功を収めましたが、EPCOTセンターと東京ディズニーランドの開園後、新プロジェクトの不足により大規模な人員削減が始まりました。同時に、会社の上層部ではロン・ミラーCEOの指導力に対する疑問や企業買収の脅威など、経営危機が進行。WED存続の危機のなか、会長カール・ボンジルノらは組織の核となる人材と知識を守るために奮闘しました。この混乱期は、ディズニー社の歴史における重大な転換点となりました。
第11章「WEDの生存」THE SURVIVAL OF WED
I. 新次元
– 1982-83年、ディズニーランドの「ファンタジーランド」が大規模リニューアル
– 「チキン・オブ・ザ・シー」の海賊船レストランとスカル・ロックなどの撤去
– 当初の平面的なファサードから立体的で没入感のあるヨーロッパの村へと変貌
– ケン・アンダーソンやハーブ・ライマンのオリジナルビジョンに基づくデザイン
– 新アトラクション「ピノキオの大冒険」の追加
– 既存のダークライドも全面的に再構築され、平面的なキャラクターから立体的なものへ
– レイアウトの改善:キング・アーサーのメリーゴーランドを20フィート移動、ダンボを海賊船跡地へ
– 総工費は約3,600万ドル(ディズニーランド当初の建設費の2倍以上)
– 1983年5月25日に眠れる森の美女の城の跳ね橋が歴史上2度目に下ろされ、リニューアルオープン
II. トップの混乱
– 東京ディズニーランドとEPCOTの完成後、WEDの将来に不安が広がる
– 新プロジェクトの先行計画がなく、開発資金も確保されていなかった
– カード・ウォーカーからロン・W・ミラー(ウォルト・ディズニーの義理の息子)へCEO交代
– 新会長レイモンド・ワトソンはWEDのコスト削減を推進
– イマジニアリングのコストを総プロジェクト費用の15%から3%に削減する案が浮上
– 財務状況の良さが「企業乗っ取り」の標的に
– 投資家ソール・P・スタインバーグがディズニー株を買い集め
– ロイ・E・ディズニー(ロイ・O・ディズニーの息子)が取締役会を辞任
– 「バス兄弟」がディズニー救済に乗り出す
– スタインバーグには「グリーンメール」として3億2,500万ドルが支払われた
– 1984年9月8日、ミラーが辞任
– ロイ・E・ディズニーは「会社に創造性がなくなっていた」と後に評価
III. 崩壊の危機
– EPCOT後の「ブラックフライデー」ほどではないが、徐々に人員削減が進行
– 「今週も残れるのか?」という不安が社内に蔓延
– WEDの従業員数は3,000人から500人へ、さらに300人へと削減
– 「ディズニーの取締役会は『彼らはただお金を使うだけで、稼がない。解雇すべきだ』という考えだった」
– 一部のイマジニアが独立:ボブ・ガーとデイブ・シュベニンガーが「セコイア・クリエイティブ」設立
– WEDはついに230人まで削減される
– ボンジルノ会長は「EPCOTセンター後に解雇された全従業員の再就職支援に100万ドルを無断で使用」
– ボンジルノは「20人の主要スタッフだけを残してスタジオに移す」という命令を引き延ばす戦術で抵抗
この章から読み取れる重要なポイント:
1. イマジニアリングの創造的成功と経営的葛藤: ファンタジーランドのリニューアルは芸術的・創造的成功を収めたが、大規模プロジェクト間のビジネス計画の不備がWEDの継続的な運営を危うくした。
2. 機関知識の価値: ボンジルノが守ろうとした「集合的な知識と経験」は簡単に外部委託できるものではなく、ディズニーの長期的成功に不可欠だった。彼の「知識は会社の最も重要な資産」という信念は、現代の知識経営の考え方を先取りしていた。
3. 企業統治と創造的組織の緊張関係: 純粋な財務的観点(「彼らはお金を稼がない」)と創造的価値の長期的重要性の間の緊張関係が、この章のテーマとなっている。このバランスは創造産業におけるリーダーシップの永続的な課題である。
4. プロジェクト計画の重要性: ボンジルノの「マスタープランがあれば企業買収の試みは起きなかっただろう」という見解は、長期計画の欠如が短期的な財務的脆弱性につながることを示している。
5. 危機におけるリーダーシップ: 上層部の混乱と会社全体の危機の中で、ボンジルノのような中間管理職のリーダーシップが組織の核を維持するために重要だった。彼の「足を引きずる」という消極的抵抗戦術と積極的な人員支援の組み合わせは、危機的状況での複雑なリーダーシップを示している。